不定期な日記帳の遺構

はてなダイアリーで運用していた「不定期な日記帳」の遺構の上に成り立つ2019年3月より再始動したメインブログ

取り留めもないチラシの裏

2日連続での更新となった。今だけの更新タイム!ということにもしたくない為、暑い内に鉄を叩き、そしてその暑さをきちんと継続させる。とは言え明日はないかな。三日連続になると

 

目標(月5本)の内の半分を消化したぞ!

 

と思い脳が休息を求めてしまうかもしれない。いやいや、休むにはまだ早いし、この後はしっかり宅建の学習をする必要がある。体力があり余っているくらいでないとね。

宅建に付いて正答率が上がり始めたという記事を書いたばかりだけれど今朝の正答率は30%程度であった。

 

 

宅建の過去問への取り組みについては一応ルール的なものを設けていて、通勤時にその月の数だけ正答するまでWEB過去問題集から離れないということにしている。例えば先月であれば5月なので

 

5問正解するまでは過去問をやり続ける

 

という縛りを設けていて、これまで大体7~8問も解けば5問くらいは正解できたのだけれど、今朝は6月なので6問正解まで終えられないぞ!と自らを縛ったところ、18問程度解いてようやく6問の正解となった。そして余った時間は読書をして~という行動パターンでいる。

 

 

以前は5問解くのに20分近くかけていたけれど、最近は5問程度であれば5分程度で済むようになっている。単純に問題文の読み方がわかってきたということであろう。

まだまだ時間はあるので今以上にしっかり過去問に慣れ親しみたいところだが、流石に包括的な深堀をしないと次のステップへは辿り着けないので、ここらで一気に馬力をかけていく。

 

 

その為にも学習(と書きもの)を習慣化しつつ残業を減らすような動きを取りつつ、メリハリを大切にして、どっちつかずの時間を減らして行く。今日くらいの時間のかけ方ができれば尚良い。ただし今日のように雨で運動できないというのは選択肢が減ったしんどい。

 

 

運動→食事→学習→たっぷり睡眠

 

 

というサイクルが回せれば最高だ。そして土日は外の世界を見つつ、余らせた空き時間を学習で埋めるというスタイルで攻められるようにする。

 

 

それにしても昨年の夏は宅建ガチ勢になっていたなと今になっても思う。土日が来る度に土日のいずれかは図書館に籠っていて、もう一方の日をサッカー観戦に費やしていた。今年はサッカー観戦をHUBで済ませたり、昼間際まで眠ってしまったりグダグダしてしまったりとであまり質の高い生活を送れていない。ネットがつながりにくいとい言い訳を作っては作品作りもブログ書きもサボってばかりいて、本当にろくでもない。

 

 

ダラダラと書いてしまったが、労働もちょっとは良いものであり、土日にあれこれと思案を巡らせていたことですらあっという間に吹き飛んでしまった。金曜に知人に対して余計なことをやらかしてしまい、そしてそれはそれとして先日の飲み会で自身のふがいなさを知り、それを金土日とで頭のしこりとして残してしまい、なんて自分はダメな人間なんだろうという気持ちと相手に対して悪いことをしてしまった、調子に乗ってしまったと言う気持ちとで後悔ばかりしている。

 

 

まるで学生時代に戻ったかのようだとのんきな気持ちもちょくちょく顔を覗かせつつ、微細な失敗だったとは言えもはやもう戻れない事態になっているので、あぁ数日前の自分に何ができたのだろうという気持ちもありつつ、ということを延々と考えてしまっている。

 

 

30歳を大きく過ぎてもメンタルが10代の頃から何も変わっていないのでこんな情けない思いを巡らせているのである。同年代のみんなは一体どんな思いで過ごしているのだろうか。やはり家族の面倒を見ることで手一杯になっているのだろうか。自分のような暇人でありつつも余裕のない(ようである)ような、ともかくとして取り留めもないことを考える暇などないのだろうなと羨ましさを感じたりもしている。

 

 

このように一気に書いてしまうともはや留めなくなるが、それでも核心に触れることを書き散らせるほどの勇気もない。結局ぐちぐちと他人様が読んでもよくわからないことをどばっと散らしてそれでおしまいなのである。未来の自分が読み返してももはや思い出せないかもしれないし、あるいはちょっとした笑い話にでもできているかもしれない。いや、できないだろうな。

 

 

そんな悪循環が故に人に関わるのが少しずつトラウマになっているし、トラウマになるからこそ億劫になるしで本当にろくな事態にならない。勇気を持ったらこそこれだよ。とは言え人は一人では生きていけないのでもう少し現実にも目を向けてみる。

 

 

自分のふがいさなで他人に嫌な思いをさせたし、ふがいないからこそ自分だけ仲良くできなかったりする反面、これで線の引き方が少しはわかったような気がするし、将来同じことで傷つけず傷つかずに済むという側面もある。・・・と思いたい。

 

 

良くわからない!