学校までは歩いて15分、駅は遠く一人では行けず、極々近所に子供向けに解放されている公民館があり、放課後はそこがお決まりの遊び場所になっていて、それが世界の全てだった。
もちろん親と一緒にその辺のスーパーに繰り出すこともあれば、車で遠出をすることもあるし、放課後は毎日公民館に通っていたわけではなく友達の家や公園で遊ぶようなことも多々あった。
それでも基本的な世界は近所周りが全てで、気が付いたらいつの間にか世界の広さが変わっていた。
自転車で遠出をしても良いようになり、部活を始め、駅も使うようになった。
子供の頃と比べると対人関係はどんどん狭いものになっていったが、代わりに見える世界が広がった。
それから時が経ち、対人関係は大きく変化し、関わる人間が増えたが、世界がその広がりを止めることはなかった。
会社勤めをきっかけに、家族の元を離れて一人暮らしを始めた。
プライベート空間に自分以外の人間がいないというのはとても快適なものである。厳しい見方をすれば全てが自己責任ということにはなるが、ポジティブに捉えれば全てが自分の思うままになるとも言える。後者以外の発想ができなかったので一人暮らしを始める前も後も気持ちは変わらず、のびのびと自由に暮らすことができた。家族と暮らしていたときから一人になることをシミュレーションしていたのが大きかったのかもしれない。
社会人になったら絶対に一人暮らしを始める。そう決めていたので、地元での就職試験は受けずに都内での就職先探しにこだわった。そもそも千葉の東京寄りに住んでいたので都内も千葉の西側もそう変わるものではないものの、都内で働くと言うのは一人暮らしを始めるある程度の言い訳なりきっかけなりになる上に、自分の足で生活をしていく以上は誰も文句を言うまい。
勤務先と新しい住まいのバランスが最適な所に落ち着くことができたことも一人暮らしの気楽さに拍車を掛けた。家賃が高くなく、比較的通いやすい場所に居を構えることができたし、勤務先自体の立地もそう悪くはない。独身生活を謳歌した。
一人暮らしを数年続け、今はまた人と暮らす生活に戻った。今回は完全なる他人との生活になるので戸惑うことも多いが、人生は長い。気長に付き合っていくし、付き合ってもらう。
新生活に突入してひと月と経っていないので気温が極端な時にどうなるか、お互いが同時に繁忙期に突入したらどのような生活サイクルを送ることになるのかなど、懸念材料は山のように聳えているけれどひとつひとつ適切に対処していく。
昔を振り返りつつ、一旦気持ちをセーブする為にこの記事を書いた。