不定期な日記帳の遺構

はてなダイアリーで運用していた「不定期な日記帳」の遺構の上に成り立つ2019年3月より再始動したメインブログ

忠臣蔵

明けましておめでとうございます。
本年も『どちらかと言えば平和』共々よろしくお願いします。


さて、今回は忠臣蔵を取り上げたいと思います。



忠臣蔵とは1701年の春から1703年の冬の二年間に渡って起こった復讐ノンフィクションです。
元禄赤穂事件のことです。


登場人物
浅野長矩(あさの ながのり)・・・
吉良が嫌い。赤穂藩兵庫県)の長。水道の整備や赤穂の塩の精製を指導した偉い人。
ちなみに中3くらいの時にすごいところで兵学を学んでいる。


吉良義央((きら よしひさ)・・・
浅野が嫌い。本編のラスボス。


大石内蔵助(おおいし くらのすけ)・・・
浅野の部下。事件の前まではぱっとしない人物だったので『昼行灯』と呼ばれていた。
事件後は覚醒して様々な調整を図る。



1691年
浅野が都の消防庁のトップに命じられる。


1698年
江戸の大火が起こって江戸が大変なことになる。
このとき、吉良の家の消火活動が遅れたために吉良の家を全焼させてしまう。
吉良「許すまじ・・・」


1701年
吉良「パーティーを開くから手伝ってくれwww」
吉良は他でも用事を抱えていたので1ヶ月ほど浅野が一人でパーティーの準備をした。
浅野「許すまじ・・・」


その年の4月21日の昼前、松の廊下にて
大事な儀式を控えて打ち合わせをしている吉良のところに
浅野がアクセサリー的な小さい刀で吉良を一突き!
浅野「かっとなってやった」
吉良は軽傷を負ったのみで命の別状はなし。
浅野はその場で取り押さえられる。


偉い人「パーティーを滅茶苦茶にしたから切腹なw あと領地も没収www」


ちなみに当時は即日切腹が異例だったそうなので、
まさか切腹させられるとは誰も予想していなかったらしい。


浅野は切腹の刑を受け、35歳でこの世を去る。

こうして物語は始まった!!!

領地没収の危機にあることを知った赤穂の人々は
没収を受け入れる派と受け入れない派に分かれることになる。


受け入れる派は赤穂から逃亡。
受け入れない派は自分達の血で抗議の書類を書いて大石に託す。


大石が幕府に抗議しに行くということで意見を統一する。
抗議の内容は以下の2点。


・領地没収を考え直してくれ
・吉良にも罰を与えてくれ


尚、赤穂の経済が混乱しないように、
身分の低いものを持ち上げ、身分の高いものを少し下げるなど、
神がかりな調整を行う。


大石は努力をしたものの、結局赤穂からは出て行くことになってしまう。
大石自身は京都に篭り、離れ離れになった赤穂の人たちと連絡を取りつつ、
政界にも工作を働きかける。


この間に離れ離れになった赤穂の人たちに派閥が形成される。


・赤穂を取り戻そう派(金持ち派)
・とにかく吉良をやつけたい派(腕自慢派)


大石はどちらにもつかない派を演じつつ、金持ち派に肩入れをする。


大石はあだ討ちを控えて準備を整えつつ、
遊び人として振舞ってあだ討ちがばれないように工作をしていた説がある。


信長やハムレットも計略を控えて遊び人を演じていましたね。
しかし大石は本当に遊び人の気があったとかどうとか・・・w


そして大石は本気で復讐を考えている腕自慢派46人を集めて、
江戸に入り吉良の居場所や地図を手に入れる。


茶屋で腕自慢派を集めて最後の会議を行い、
夜に討ち入りをすることを決める。
1703年12月2日のことである。


12月15日に吉良邸に侵入し、
2時間の激闘の末に吉良をやつける。


その後、大石は江戸に上り事件の処罰についてたずねに行く。
46人は4つの組にわけられてそれぞれ異なる武家に預けられる。


それぞれの組によって待遇がまったく異なったそうである。


そして翌1704年3月20日
4家同時切腹が行われる。


完!


【備考】
浅野がかっとなった理由はパーティーの復讐だったとは言い切れないみたいです。


・パーティー準備の褒美が浅野の方が少なかったから
・吉良が浅野の妻に横恋慕したから
・吉良が皇位継承問題に関わったから
・浅野の部下の美少年を吉良が欲しがったから
・浅野のとっておきの陶器を欲しがったから
・展覧会で披露された画の評価が異なったから
・吉良がいじわるだったから


いじわるの内容
・礼服に関して嘘を教えて恥をかかせた
・パーティーの時間を適当に教えたから
・パーティーの料理を質素にしろと言ったから
・パーティーの持ち物に関して嘘を言ったから
・パーティーの計画表を見せなかったから
・偉い人を待ち受ける場所を教えなかったから


いじわるに関しては、
浅野が失敗した場合、吉良まで怒られることになるので
こんないじわるはありえないという意見もあるそうです。


それから、
忠臣蔵の公開当初は、事件の発生からの時間の経過が浅かったために
時代設定が江戸ではなく室町時代だったそうです。


尚、登場人物の名前も本名を使うわけにいかなかったそうなので、
違う名前が使われています。