不定期な日記帳の遺構

はてなダイアリーで運用していた「不定期な日記帳」の遺構の上に成り立つ2019年3月より再始動したメインブログ

伝言ゲームは難しいし、正論で叩いてもいけない

ノートがないなんていう情けない言い訳をしながら、テキストパート終了後の1週間程簿記の勉強をお休みしていた

 

しかし今日から復帰する。

 

試験まで地味に時間がないのでここからスパートをかける。

 

思い返してみると

ブログをやたらと更新している時期 何か大事なことを背負いながらもその背後のものから目を背けつつ本来割くべき時間をブログの時間に全振りしている時期

だったりする。

 

むやみに時間があるときはブログ以外のことに時間を使うし、時間が足りないときはきちんとするべきことに時間を費やすか、ブログを書いているかのどちらかに偏っている気がする。全然両立ができていないんだな、これが。

 

 

本題に入る。

 

 

先日気が付いたのだけど、

  • 正論だけが全てではない
  • 伝言ゲームは難しい

という2点の事実が存在するために仕事なり共同作業なりの難易度が上がってしまう

 

例えば相手がお客さんでも共同作業者でも

○○○が欲しい!

という相手の要望に対してきちんと応えたとして、

頭に浮かんでいたのは△△△だった!ごめん!

と言われたときに間違っていたのも悪いのも相手だったとしてもそれを決して攻めたりしてはいけない

 

いくら自身を守る為でも決して相手のミスを過剰に拾ってはいけない。

 

○○○と言ったら大抵の場合、△△△は渡さないよ!

 

と言うのは正論なのだけどそれを教え諭す以外の意味合いで投げつけてはいけない

 

そういった場合は自身が悪者にならないように気を付けながら善後策を練れば良い。正論は最低限の盾にしながら次に進んでいくようにしないと物事は前に進んでいかない。正論を投げつけるだけなのはただの思考停止だ。誰でもできる。

 

そしてそういった齟齬が生じないようにしっかり対話をするべきなのである。ツーカーの関係であっても生じてしまうのが個人間の認識の差異と言うものなので、極力コミュニケーションを取ってお互いの頭に浮かんだものをすり合わせるべきだ。

前の話にも繋がるが、このコミュニケーションがちゃんと取れていれば正論をぶつける必要もなければ盾にすることもなくなる。

 

ここからがちょっとした肝になる。仮に相手と自分2人だけの環境であればコミュニケーションひとつでどうとでもなるのだが、間か先端にもう一人加わることでコミュニケーションが煩雑なものになる。いわゆる伝言ゲームというものが生まれてしまうのだ。

誰しもが経験をしているだろうが、伝言ゲームは難しい。特定の二者間の意思疎通がうまくいっても別の部分で伝達ミスが発生していると全てがおじゃんになってしまう。

 

だからこそある程度の大人数で何事かを成し遂げようとするのは難しい。

 

ある程度全体を想像することができたとしてもピンポイントで的中させることは確実にできないので、やるべきことを成し遂げた上でさらに自身にできることと言えば伝達してくれる人と伝達する人を信じることしかないのだ。

 

伝言ゲームは難しいし、正論で叩いてもいけない。