不定期な日記帳の遺構

はてなダイアリーで運用していた「不定期な日記帳」の遺構の上に成り立つ2019年3月より再始動したメインブログ

もうこんなにも夜中

こんな内容を書きたいな。でもこの前記事に書いたような気もする。それじゃあ過去の記事を1ヶ月分見直してよう。

 

というわけで書いていなかったのでこの記事に書く内容は初公開ということになる。毎回直近の記事は念のために確認してみることにしている。何年も前の記事についてはわからないから、もしかすると同じことをずっと前に記事にしている可能性はある。同じ人間の書いているものだし多めに見て欲しいと思いつつも、やっぱりその辺りでの被りをなくしたいという気持ちもある。

 

今回の内容は新人への接し方について。ちょっと前の記事で新人を通して自分のスタンスを見つめ直すという旨を書いたけど、今日はもっと根本的でダイレクトな問題に触れる。

 

syaroku.hatenablog.com

 

 

単刀直入に言うと去年の新人が有能過ぎた反面、今年の新人はちょっぴり残念だ。悪い意味で適当だし、まるで小学校低学年の子にものを教えている気分になる。努力を放棄している節さえある。一生懸命やって失敗するのは全く構わない。しかしその次元にちっとも達していない。どうやってこれまで生きてきたんだと不安になるレベルでダメダメなのだ。

 

これをやってねと具体的に丁寧に簡潔にお願いしたちょっとしたことができないのだ。というかやらないのだ。うっかり忘れるにも度合というものがある。

お客さんの注文内容をきちんとメモしてその仕様に見合うものを揃えるというのが受注の第一歩だとすると、まずもってその注文内容を控えないのだこんなこと言ってましたねwあとはなんだっけwwはははwwwじゃないんだよな・・・。

 

そうなると流石に怒らなければならないのだけど、経験の乏しい私は怒り方がわからないので取りあえず丁寧さを増し増しにして説明し直さなくてはならない
それでもその説明を聞いている感がないんだよな。

大人たちが説明は一度しかしないからな”と言っていた意味が良くわかったよ。

 

それと同時に怒鳴る気持ちもわかるようになった。私は暴力的な行為は絶対にしないと決めているので体罰はもちろんのこと、怒鳴るような真似も決してしないのだが、そういったわかりやすい威圧がいかに楽な伝達手段かということも段々とわかってきた。

それでも聞かなければもう説明をしても意味がないことが良くわかるし、仕事を任せる気もなくなる。

何度も言う。そんな攻撃的なことはしないけど、仕事を任せたくなくなる気持ちはよく分かった。

 

人手が足りない職場ではありつつも仕事を振ってもそれが手付かずで帰ってきてしまうのであれば最初からフらない方がずっと楽なのだ。説明をするのにだって時間がかかるから教えるのにも当然労力を使う。一回労力を使えば後は同じことを何度でもできるようになるというのなら問題はないが、何べんも労力を使わなくてはならないのであれば自分でやってしまった方が絶対に良い

 

もし私の教え方に問題があるのであれば私が教えるポジションから離れれば良いだけなのだが、他の人もこの新人に対しては同じ様な違和感を覚えているようなのだ。

これで全員この新人から離れることになれば彼は入社数ヶ月で閑職に追いやられてただの給料泥棒と化する。そしてそういう人間を作ることで新人の採用制度に一石投じられるのかもしれないという危うい想像すら抱いてしまう。彼を犠牲にして、会社に人件費の在り方を根本から考え直させる機会を作ってしまおうというのである。流石に話が大きくなりすぎたかな。これからのやり方を考えねばならない。個人的にはまず有効な怒り方を覚えるところからだな。説明をきちんと聞いてもらうレベルまで己を持って行かないといけない。