時間は平等に進む。
どれだけ急いでも、のんびりやり過ごしても、消費する時間は誰にとっても等しい。
0時に東京を出発する夜行バスに乗って翌朝8時に京都に着いても、ぐっすり8時間自宅で眠っても、等しい時間が過ぎ去る。
使う時間は同じでも、何をするかで結果だけが変わってくる。取り巻く環境なり、持ち合わせた条件なりの中での自身の行動が終着点を決定する。
9時から東京で勤務する人が京都行きのバスに乗ってはいけないし、9時に京都に出張に行く人が0時東京発の深夜バスに乗ってはいけない。
どんなに偉大な行いをしても時代に沿っていないと何も起こらない。
時間だけが平等に進んでいく。そういったことを肝に銘じよう。
タイムリーな無を語るということをしてみたかったのだけど、中々難しい。ある程度の分量を書くとどうしてもちょっとした意味が出てきてしまう。
「語ること」を語るみたいな文章を書くのは中々難しい。
そしてあんまり意味がないことを書きながら思ったのだけど、「普段の自分がブログで書いているようなこと」を書いている気持ちになった。私の平常運転がもしかしたら無を算出していたのかもしれない。自戒自戒。