言葉は発する側の雰囲気も含めて伝わるものだ。
メールよりも電話の方が良く、電話よりも顔を合わせることの方が大切だ
という説がある。そうは言っても顔を合わせることで電話口でやり取りをするときの良い雰囲気を損なうタイプの人もいるだろうし、電話口で声を聞かせることでメールでのやり取りをしたときのイメージを壊してしまう場合もある。
それでも人は顔を合わせることで初めて得ることのできる安心感というものを生前的に備えている。その安心感がコミュニケーションの制度を高めてくれる。
私は話すことがあまり得意ではない。決して嫌いというわけではないのだけど、シチュエーションによっては、というよりも多くの場合あわてて喋ってしまうことが多く、特に初対面の人と話したときにあわあわしていると何度か聞き返されたりすることがある。
しかし何度か顔を合わせたことのある人だと多少あわあわしていても伝えたいことをきちんとくみ取ってくれる。
時折、会社の人でもなくお客さんでもない、協力会社の面識のない人と電話で会話をすることがあるのだが、そういった場合は意志の疎通がうまくいかないことがある。
顔を合わせて会話をする際も聞き返されることがあるが、電話は言葉しか伝わらないということもあるので余計に聞き返される。
聞き返されるということについては、滑舌云々もあるだろうが、それよりも伝えたいことがふわっとした状態で相手にパスをしてしまうので、「それってどういうことですか?」となっているのだと思われる。
電話をかける前に話すことをまとめはするのだが、いざ言葉にするとあわあわしてしまって伝えたいことが空中で分解されてしまう。それでもこういった事件は電話口で起こることが多く、顔を合わせる場合は極端にその頻度が減る。
言葉は発する側の雰囲気も含めて伝わる。
多少あわあわしていても、発する側の雰囲気ひとつで思っていることと発される言葉の間に大きな差異がなく意志疎通をすることができる。その雰囲気は電話口よりも対面した時の方が視覚情報が入る分、伝わりやすい。
言葉の通じない海外に行って身振り手振りでなんとかコミュニケーションを取ることができる人がいる一方で、同じ言語を使用しているのにも関わらず交流が上手くいかない場合もある。
言葉以上に伝えようとする姿勢で伝えたいことが伝わる場合がある。
そして顔を合わせる頻度が高くなるほど、あわあわしてしまい言葉自体に問題が生じても、言外の意図をくみ取ってもらいやすくなる。あわあわの上で繰り広げられるコミュニケーションだって相手が慣れさえすれば十分に成立する。
恐れるものなどどこにもない。とにかく伝えるという姿勢を持とう。