不定期な日記帳の遺構

はてなダイアリーで運用していた「不定期な日記帳」の遺構の上に成り立つ2019年3月より再始動したメインブログ

自転車での遠出の原点

 

 

どうして自転車でそんなに遠くまで行くの?

 

と質問されることがある。

自分の物理的な力でどこまで行けるかを知りたいからというのがその答えだ。歩きの方がより生身に近いと言われれば確かにそうなのだが、歩きだと比較的近いところに限界があって距離がそこまで出ない。自転車の方が精神面でも体力面でも長持ちするし、距離も出るので進み応えがある。

でもその原点はどこにあるのだろう?いつからこの趣味を始めたのだろう?

 

振り返ると小学生時代にその出発点がある。


家族と車で出かけるような隣町に自力で行くことはできるのだろうか?

 

そんな疑問を持った私はすかさず自転車で隣町に出かけた。小学校高学年の頃だった。今の自分からしたらそう遠い町ではない。骨は折れるが歩いてでも行ける距離だし、そこは通っていた高校よりも身近な場所だ。細い路地や裏道や抜け道を知らないような場所は既に隣町の領域であり、私にとっては未知の世界だ。


その後、中学生に上がった私の探求心はさらに高まり、隣町どころか隣の市へも特に用もないのに自転車ででかけることが多くなった自身の限界を知りたくなった。

中学校の3年生にもなると隣の都道府県に出かけたい欲求が湧いてきた。千葉住まいだった私にとっての最も近い他の都道府県は東京であった。あの憧れの東京にこの何の変哲もない自転車で移動するというのはとても特別な体験であった。

東京とは言っても都心ではなく江戸川区に入るのでいっぱいいっぱいだったし、中学生の時代は最高でも千葉から総武線で向かったときに一番初めに到着する小岩駅までしか行けなかった。

 

高校生にもなると行動範囲はさらに広がり、上野まで行くようになった。とは言ってもいつでも上野に行けるような行動力が身に着いたのではなく、相変わらず東京に足を踏み入れるだけでどきどきしたものだが、一度だけ足を伸ばすに伸ばして上野に到達したあの上野まで自分の力だけで来ることができたという感慨深さにしみじみとしたものだ

 

浪人時代のことは良く覚えていない。気分転換に東京まで出たことがあったかもしれないが、行ったとしても市川大橋を渡ってすぐに引き返したくらいで、がっつり東京の中の方まで踏み込んだことはなかったと思う

ちなみに電車での移動を含めてもこれまで東京に単独で行ったことはない。東京は用がなければ訪れるような場所でもなかったし、東京に足を踏み入れたことと言えば高校の行事の大学見学で何校かに立ち寄っただけのような気もする。それだけ東京は馴染みのない場所であった。

 

大学に入ってからは大学が東京にあったということもあり、東京に対する抵抗がなくなった。私の通う大学は千葉から見て都心を超えた先にあるので、自然の成り行きとして都心に足を運ぶことも日常となった

そしてその大学へも冒険感覚で何度か自転車で訪れた東京の奥の方面という認識のあった都心の向こう側へも自転車で出かけることが可能になった。年に一回は大学に自転車で移動していたと思う。自転車での遠距離移動はとても癖になる。


大学時代に一度だけ牛久大仏へも自転車で出かけたことがある。大学に行く以上に途方もない距離を移動することになるのだが、それだけの距離を自転車で進み、そして折り返した達成感は半端ないものであった。

 

しかし大学卒業後はもっと遠くへ自転車で移動するようになった。

 

牛久大仏まで自転車でかっ飛ばしてきた(2017年6月18日の記事)

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あついうみに行ってきた(2017年11月5日の記事)

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東京湾一周編(2018年8月27日の記事)

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【前編】【後編】餃子の街に行ってきた(2018年4月23、24日の記事)

syaroku.hatenablog.com

 

syaroku.hatenablog.com

 

 

牛久大仏は東京に住むようになってからも一度訪れている。東西南北の出るところは出たので、割とおなかいっぱい感がある。

今までの場合だと

今回はくたびれたからしばらくは遠くに行く元気は湧いてこないけれど、やる気が出たらこんなところに行きたいな

という軽い目標ができていたのだけど、今は次の目標が何も浮かんできていない。今後は自転車で移動するとなったら近場の散策になるかな。意外と近場の路地裏を知らなかったりするので、もう少し近所にも目を向けてみようと思う。