どんな媒体の文章にも共通する「良い文章」に備わるポイントがある。
そういったポイントを押さえると
「澱みのない文章」
が完成する。
ここで言う「澱み」とは「読み手が悪い意味で立ち止まってしまうような文章」のことを指す。
思わず考えさせるような一石投じる文章ではなく、ネズミ返しで強制的にひっくり返してしまうかのような文章がまさにそうだ。
明らかな悪文については言うまでもないが、些細な表現がその受け止め方を大きく左右してしまうこともある。
今回はそんな「澱み」を発生させない為に心がけるべきことをまとめてみた。
「・・・」や「!」を多用しない
短絡的な装飾の多用は好ましくない。
「!」はTwitterで頻繁に使用しているし、このブログでも特に締めの文末に付けることがあるけれど、本当はあまり好ましくない。表現に自信がないから付けているのだ。
Twitterは一種の地の文みたいなものなので雰囲気の演出という意味では百歩譲って仕方がないとも取ることができる。そういった意味では絵文字も有効な手段だ。現代的な表現手段を取り入れれば自ずと手札が増えるので一概にこの表現はナシとは言い切れない。それでもブログの目立つ場所での使用は避ける。
「・・・」は感情の装飾として使う理由がないのでブログでもTwitterでも控えることにしている。
「鯛」ではなく「鱒」
「鯛」は希望で、「鱒」は現実だ。
魚の話ではない。
「○○したい」だと遠い世界の話で終わるが、「○○します」だとその距離がぐっと縮まる。それに言い切れないことは書くべきではない。
これは自己実現の為の一種の自己暗示としての効果もある。
「ですが」をきちんと使用する
「日本語の乱れ」なのか、「日本語の進歩」なのかについては議論の余地がある。しかし「乱れ」派の勢力が強い現在は正しく使用しておいた方が無難だ。
「ですが」を逆説として使用せずにただの繋ぎとして使用する場面が増加していて、それに対して反対の意が唱えられている。
×先日のご依頼ですが、無事に進行しております。
○先日のご依頼つきましては、無事に進行しております。
この場合、「ですが」の後に相手の予測を悪い方向に持って行かなくてはならない。
この辺りは「ですが警察」(ですがの使用を気にしている勢)に見つからなければ問題はないが、文章読みには意外と多いので要注意だ。
導入は引いた視点、もしくは結末から書く
「私は」から始める文章は論外だ。一般論かもしくはその文章の中で最も言いたい事を初めに記す。特に後者を押さえると読み手は安心する。大きな枠から小さな枠に移動していくことを意識すると読みやすい文章になる。
あっさり書き始める
導入は一行か二行でまとめるのが好ましい。媒体によって行数は変わるけれど、短文になりすぎずかつ長くなりすぎずを心掛ける。
辞書の引用を持ってきて、そこから上記でも書いた「主張」を持ってくるのもひとつの手だ。この手はたまに使う。
「タイトルで説明し尽くす」
トレンドに左右されるのだけど、YouTubeは説明的なものが流行っているし、ライトノベルも長文が受けるようだし、ネットの大型掲示板も流行っているスレはスレタイだけで内容がしっかり伝わるように工夫されている。
「タイトルを短く潔く付けておいて内容で勝負する」というのがひと昔前のトレンドだけれど、ここ最近はタイトルに内容を押し込むことが美学とされている。
ちなみにTwitter限定の話にはなるが、ツイートの最後の文の末尾には句点(。)を付けないことにしている。小説なんかの台詞終わりには基本的に句点が付かない。ツイートも台詞のようなものだと捉えているので句点を付けないことにしている。
世間的にも自分史でも流行り廃りがあるのでここで述べたことが覆ることもあるかもしれないが、現時点では以上のようなことを気にしている。
全体としてはとにかく全てを流していくことに重点を置いている。読み手を立ち止まらせず、どんどん先に進めて行くだけの工夫が必要になる。
もちろん、突然主語がすり替わっていたり、下手な例えを多用するなど、文章を書く上での普遍的なミスにも気を付けなくてはならない。大きなミスが流れを悪くするのは無論のこと、ささくれのようなわずかな突起もストレスに繋がってくる。
流すという技術は文章を読む時以外にも大抵の物事について必携の能力になる。その辺りはまたおいおい記事にする。
それくらい流す=澱ませないというのは重要な行為なのである。