宣言からの
「19時に退勤する!」という意気込みもしくは予言をここで宣言する
— 鷓鷺 (@syarokusuke) August 4, 2020
反故。
退勤予告のぶっちぎり、余裕だった
— 鷓鷺 (@syarokusuke) August 4, 2020
お昼の段階でなんとなくその日は何時に帰れるかを予測することができる。
朝イチで「定時に帰る」ための段取りを組むのだけど、なんやかんやと新しいタスクが舞い込んできてお昼になった時点で「今日は19時だなぁ・・・」のような押し気味の見立てができる。
しかし午後帯に思わぬタスクが割り込んでくるとその分、業務が立て込んで結果として段取りを中途半端な段階から組み直すことになる。午後の状況ひとつでその後の流れが変わるのでお昼に立てる見立ては「最低でも○○時」というかなりふわっとしたものに成り下がる。
本日については何が起こったのかよくわからないけれどゆるめな仕事が散弾銃のように打ち込まれたのでひとつひとつは大したことがなかったけれど、
気が付いたら定時を何時間も過ぎていた。
みんながみんな定時というものに対してシビアに動き、顧客も顧客で制限時間内に仕事を持ってこないと納期が守られないというスリルを持っていたらどうなるんだろうとふと思う。
「納期が与えられたからこそ、それは絶対に守らなければならない!」という日本人の感覚で言うところの常識がない世界も確かに存在する(らしい)。
定時ギリギリでタスクを持ってきても誰も言うことを聞いてくれないという企業があれば、そこが独占企業ではない限り、確実に相手にされなくなって行き、その企業に対する需要はめきめきと減っていく。
ここに資本主義の落とし穴がある。
「みんながみんな怠けてしまう世界」は衰退していくことが歴史を通じて証明されているけれど、その逆に「全員がルールを破ってでも全力を尽くさなければならない世界」が訪れればその世界の住人は着実に擦り減っていくことになる。
「言うことを何でも聞きます」という世界もそれはそれで考えもので頑張る限度を見極める必要があるし、「ルール違反になるのでこれ以上は聞けません」と突っぱねていてはその世界はちっとも進歩していかなくなる。
矯めつ眇めつやり繰りしていくのが何事にとっても肝要なのだ。